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2015年のN.ジンガーとの夏の思い出

2015年8月、Suttgartに住むある知り合いから一本の電話がかかって来て、ぜひ一緒に食事をしたいといわれた。ちょうどその2週間後にStuttgartに用事があったので、その晩に予定を入れて電話を切った。

当日、町中のレストランで郷土料理でも食べるのだろうと思っていたが、ホテルに向かえに来た車に乗ると「今日はちょっとサプライズがある。」とだけ車の中でいわれ、車が動きだした。車の進む道は何度も走った事があるポルシェ本社の方向であった。走れば走るほど、車はポルシェ社に近づき、こんな工業地帯に招待される様なレストランなどあるのか?もしかしたら、地元の飲み屋で飲もうという魂胆なのか?と思ったが、車はポルシェミュージアムの地下駐車場に入った。

彼のいう「サプライズ」とは、閉館したミュージアムの車やバックステージを見せてもらえると直感した。気を使ってくれた知り合いの気持ちは嬉しいが、その事を子供の様に喜べないのは、数ヶ月前にミュージアムに行ったばかりだ。そこにおいてある一部の車は普通の人から見れば珍しく希少なものなのかもしれないが、私からしてみれば常日頃見ている車どころか、実際に常日頃運転している車もあるので、私にとって他人が想像するほどハイライトでは無いのである。

そして、地下駐車場から建物の中に入ろうとした時に、「今日はミュージアムのレストランで食事を取る。気に入ってもらえるといいのだが。。」と言われ、車を見ながらの食事ならば多いに結構と「もちろん!嬉しく思います。ありがとう」と笑顔で答えた。その時微笑み返され、「実は知り合いも呼んでいて、その人の事も気に入ってもらえると嬉しい。」と伝えられた。

そしてレストランに付くと、顔パスといった感じで奥の部屋に案内され、全員揃うまでここでお待つようにいわれた。アペレティブを飲んでいると、なんと1人の紳士が「みなさん、こんばんは!」とやって来た。。。。なんと、ノルベルト・ジンガー氏であった。。ジンガー氏は1970年よりポルシェワークスレースチームにおいて欠かせない人物で、917のルマンから911GT1までのレース活動に貢献したワークスプロトタイプチームの中心人物で70年代以降のポルシェワークスレーシングチームを語るのに、彼は欠かせない重要人物である。定年を向かえた2004年以降も定期的にポルシェワークスのピットに顔を出している。

会食の最初の話題は、まずはミュージアムのレストランのキッチンの話題から始まった。ポルシェのレストランのディナーはハイレベルで、前代表であるヴィーでキングがこだわり抜いたキッチンである。彼の好物のステーキは特別に輸入された肉(特別許可)を特例でStuttgart市から許可されたドイツでは通常利用不可とされている高熱のオーブンで焼き付ける。非常にハイレベルなステーキといえるであろう。ヴィーでキングの話も多く聞かせてもらえた。90年初期傾きかけたポルシェを、彼は本当に良く立て直した。彼は2009年に会社を後にしたが、それでも彼の名残は確実に社内に残っていることが肌身で感じ取れる事が出来た。その一つがこのステーキである。

同席した、私以外の人達は毎日通っているのかというくらいの常連ぶり。それはそのはず、世界各国のイベントに車と一緒に旅行する事もただあるヒストリックプロトタイプ関係者がそれらのマシーンが多く飾ってあるミュージアムのレストランにの常連となるのは当然のことで、彼らにとって、社員食堂のようなものだ。

ポルシェマニアといえば、市販車の話題で盛り上がるのが常であるが今晩は全く違う。プロトタイプやルマンを始めとするレースの話ばかり。しかも、実況中継を聞いているかの様にリアルなのである。ジンガー氏の目はメカニックも恐れるほど隠し事が出来ない。彼はマシーンが遅ければ出場チーム前チームの全周回のタイムすら集めて来て、徹底的に解析する。そして、その結果を見て的確に問題点を指摘していく。話をしていて口調から、妥協を許さない厳しい人であったはずだ。

技術の進歩が実った年、実らなかった年いろいろ苦労話を聞かせてもらったし、2015年ポルシェがルマンで優勝したその舞台裏の話を聞く事も出来た。多くの話がグレーである為にここに書く事は出来ないが、レース屋の信念とゴールに向けるサーキット以外での戦いの話を聞くとルマンなどに参戦するチームのメンバーには「戦士」という言葉が本当に似合っていることがわかる。サーキット上のみならずチーム内でも、そこは戦場である。持っている技術を最大限に引き出そうとする人の目には妥協はない。市販車の場合は最新モデルが最良の車である事が常だが、レースカーの場合開拓して行く為に、必ずしも最新のポルシェが最速である訳ではない。責任者が背負うプレッシャーと、数多くの技術者をまとめて1つのチームを作るというのは神業と言っても過言ではない。

ジンガー氏は現在では最前線を退いたが、世界各国のレーシングポルシェのイベントで車と同様にワークスのゲストとして招待を受けて忙しくしている。ミュジアムにある車と同様に直に話が聞ける希少な存在で、ポルシェミュージアムに1日中座らせて話をさせたいくらい、興味深い話が聞ける。何歳になっても、若かりし頃情熱を注ぎ込んだ車たちの近くにいられる彼は本当に幸せそうで、理想的なポルシェライフだ。こんな老後を過ごしたいと本気で思った。

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ノルベルト・ジンガー氏 左から2人目

参考(Quelle Wikipedia)
ノルベルト・ジンガー(ドイツ語: Norbert Singer )は、ドイツの自動車エンジニアである。
1939年[1]11月16日、当時ドイツ国のズデーテン地方ヘプに生まれた。ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン卒業後ポルシェに入社し、1969年に故障したポルシェ・917のトランスミッションクーラー改良を担当し、1970年のル・マン24時間レースにおいてポルシェ初となる総合優勝と、1971年の連覇に貢献した。その後ポルシェ・911をベースとするレーシングカー開発を担当、開発したポルシェ・935は1979年のル・マン24時間レースに優勝した。1981年ポルシェ・936/81、1982年から1985年までポルシェ・956が、1986年と1987年と1994年にはポルシェ・962が優勝している[1]が、ジンガー自身は1988年のル・マン24時間レースが終了した時点で量産車部門に異動した[1]。その後レース部門に復帰しポルシェ・WSC95で1996年と1997年を、ポルシェ・911 GT1で1998年のル・マン24時間レースに優勝するなど耐久レースにおけるポルシェの黄金時代を築いた。
ポルシェを定年退職してからも3年顧問として残り、ポルシェ・911のレース活動を陰で支えた。2012年時点では国際自動車連盟とフランス西部自動車クラブのコンサルタントとして2014年向けのレギュレーション策定に協力している。

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